走るギタリスト

明日は、きっと、出来る。目指せ、最速の、ギタリスト。

稀勢の里引退…

こんばんは。

 

少し練習日誌から離れますが、稀勢の里の引退についてどうしても書き留めておきたかったので、お付き合いください。笑 私は稀勢の里横綱になる前からのファンで、横綱昇進時には泣いて喜んだことを覚えています。勝っても負けても感情を表に出さない、まさに「漢」という姿が非常にかっこよくて、憧れでした。ここ最近は見ていてこっちまで辛くなるような相撲で、そしてとうとう引退、となってしまいました。

 

  • 怪我の恐ろしさ

どうしても書き留めておきたかったのは、大ファンである稀勢の里と自分に重なる点があったからです。稀勢の里の不調の原因となったのが、横綱昇進後の場所での左胸の大怪我。その時は無理を押して出場し、優勝を飾りましたが、結局それが早期引退への引き金となってしまいました。今日の引退会見でも話していましたが、怪我をしてからは自分の相撲が取れなくなってしまっていたようです。よく怪我から奇跡の復活、といったアスリートがピックアップされますが、それはまさしく「奇跡」なのかな、と思います。自分も含めて怪我で競技人生から引かざるを得なかった選手は星の数ほどいると思います。それだけ、スポーツ選手にとって怪我・故障というのは競技人生を左右するものであると思っています。

 

このブログでも何度か書いていますが、自分も高校時代に故障の連続で満足がいく結果を残せず、大学で競技を続けることを諦めました。まさに自分の思うような走りができなくなっていたからです。自分で言うのも恥ずかしいのですが、中学時代は大阪府内ではそれなりに速い選手でした。先日、ようやく自己ベストを更新した3000mですが、セカンドベストの9分6秒は中学3年生の時に記録したものです。全国ランクにすると200番以内には入る程度ですが、今箱根駅伝を走っている選手の中学時代と同じかそれよりは速いタイムで走れていたと思います。高校進学にあたってはいろいろな学校から声をかけていただき、自分は全国インターハイ、そして箱根駅伝に出場できるものとばかり思っていました。しかし、高校1年の時に右すねのシンスプリントを発症してからというもの、稀勢の里と同じく全く以前の自分と同じパフォーマンスができなくなりました。本当に高校3年間は暗黒の時代でした。自分のレベルでも地獄のような期間だったので、稀勢の里はまさに生き地獄のような時期を過ごしていたのかな、と思うと本当に苦しくなります。

 

  • 今、走れていることが本当に幸せ

幸いにも大学時代のブランクを経て、再び陸上競技に戻ってきました。そして昨年は今までの自己ベストを全て更新することができました。あまりに遅すぎる復活ですが、それでも今走れているだけ自分は本当に幸せなのかなと思います。苦しい高校時代を経て再び走ることが楽しい、と思えるようになってきました。相撲が本業の稀勢の里とは次元が違うと思いますが、今後は指導者として後進の指導にあたるそうです。自分の辛い経験を良い方向に活かしてもらって、ふたたび稀勢の里のような素晴らしい力士を育ててくれるよう、祈るばかりです。

 

  • 今日の練習メニュー:EペースJog 12km

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前置きが長すぎたので、練習メニューは短めに。今日もEペースJog 12kmでした。早めに出勤しないといけなかったので、12km走る時間を確保するために、二度寝したいのを我慢して早めに走りはじめました。昨日よりはJogのペースも回復してきました。明日も同じようなペースで走ります。明後日から今週末のハーフに向け調整に入ります。明日は絶対走ろうと思いますが、金曜日は先週と同じように疲労具合を見て走るか走らないかを決めようと思います。

 

 

本日の走行距離: 12.10km

今月の走行距離: 130.93km